いつもはとろける

 つくづく思うのは、ちょっとしたトラブルはいつだってすぐ側にあるという事である。想定外の災難が降りかかるのはよくある事なのだ。
「……冷たい」
 宿の方へ戻ろうとした時、偶々市場の在庫を運んでいた人とぶつかってしまった。それで、偶々……そう、偶々。どこかのファンシーなくまのぬいぐるみの様に、蜂蜜まみれになってしまったのだ。事実は小説よりも奇なり、とはこの事だろうか。
 全身余すところなく水浸しならぬ蜂蜜浸しだ。ぽたぽたと、黄金色の液体が髪から滴り落ちた。
 そんな私を大丈夫かと一通り心配した後、セイバーが一言。
「なあ、アヤカ。君の幸運ランクは一体幾つだ?」
「なにそれ……」
 呆れてそう返した覚えはある。

          ◇◆◇

 モーテルのフロントで余分なタオルを受け取って部屋に戻った。アヤカはベタつく身体中を今すぐ洗い流したくて堪らないと眉根を寄せる。
「これ、洗い流して来るから。あんたは好きな事して……ちょっと?」
 外される事のないセイバーの視線。くん、と主人に懐く犬の様に鼻を鳴らす。
「な──」
 ぎょっとした。ぺろりと頬を舐められたのだから。
「甘いな」
「なっ、何して……!」
「そう……うん。急に甘い物が食べたくなったんだ」
「誤魔化し方が雑すぎる!」
 必死に叫んだけれど、あっさりと私はセイバーに抱き上げられてしまう。丁寧な事に横抱きだ。
「身を清めるのは全部終わってからでも遅くないだろう」
「そんな事はないと思う」
 力無き抗議はあっさりと無視をされた。なんて暴君だろう。私は所詮一般市民でしかないのだ──などと、おかしな思考を繰り広げながらベッドへと運ばれるのを大人しく待つしかなかった。

          ◇◆◇

 アヤカがご馳走なら、ベッドが皿だ。彼女の身体を横たえて、一枚一枚服を脱がせていった。華奢な肩に、白い首筋に、噛み締められた唇に、順番に唇を落としていく。一つ口づける度に身を震わせるアヤカが可愛らしくて仕方がなかった。
「なあ、アヤカ。ところで、此処にさっき詫びにと貰った物が幾つかあるんだが」
「え? ちょっ、待っ……」
 ただならぬ気配を察知したのだろう。静止しようと慌てふためくが止まってやれるはずもない。(そして彼女はその姿すらも可愛らしいのだ。)蜂蜜がたっぷりと入った瓶を開けて逆さまにすれば、粘性の液体が、アヤカの肌に零れ落ちた。
「ひゃっ……な、なんてもったいない」
「気にするのはそこか? 心配せずとも全部食べるさ」
 君ごと、全部。
 彼女から香る甘い芳香が、ぞっとするほどに俺を興奮させた。

          ◇◆◇

 とろりとした黄金色の蜂蜜が、アヤカの秘部に零れ落ちる。冷たい液体の感触のせいか、それとも他ならぬ俺によってこれから施される行為の予感のせいか。ぴくりとアヤカは身を竦ませた。
「嘘……だよね? そんな事、しないよね」
「そんな事? さて、何の事かな」
 俺はそっとキスをする。恭しく、愛を捧げる騎士の様に、口づけをする。開かせた白いアヤカの脚に。その内腿に。
「嘘っ、やめ、だめ!」
 柔らかく蕩けた、甘い花芯に。
「いやっ……あ、あっ!」
 あまりにも高く伸びやかな、快楽に怯えた嬌声が上がった。
 舌で彼女の秘部を丁寧に暴き立てれば、啜り泣きにも似た声が上がる。男に慣れない身体は何をされても戸惑い、怯える。それにどうしようもなく仄暗い歓喜を覚えてしまう己に複雑な心地になった。
「やっ、ぁ…だ、だめ、いやぁ、そんなとこ、ろ……っ」
「……ん。……嫌? 心配しなくとも君は充分可愛らしいし、美しいぞ」
 唇を離せば愛液と蜂蜜が混ざり合い、滴り落ちる。
「そんな、心配……だれ、もしてないっ!」
「なら構わないだろう?」
「構うからっ、ああぁ!」
 蕩け落ちた花弁に口を寄せれば、途端に甘い悲鳴が上がる。
 反論の隙を与えるつもりはない。少しアヤカには悪いと思うが、今だけは。

          ◇◆◇

「気持ちいい、な……アヤカ」
「ん……うん、っ…」
 背後からゆるゆると揺さぶられながら、私は返事にもならない声を返す。背中にキスをされるだけでぞわぞわと腰が疼いてしまう。知りたくなかったのに何故か知ってしまったコレは、いわゆる背面座位というやつだ。セイバーから声をかけられても、私の意識は既にぼんやりと霞んでいた。
「アヤカ。気持ちいいのは好き、か?」
「なに……?」
「言ってくれないか。好きだと」
「すき……気持ちいい、のは、好き」
 何も分からずに、復唱した。私は思う。多分、嘘じゃない。気持ちいいのは、好きだ。何も考えなくていい。何だかふわふわとして、心地いい。
「キスは? アヤカはキスが好きか?」
「ん……好き、だよ」
「抱き締めるのは? 好きだろう?」
「うん……好き、かな」
 耳元で囁かれる質問の意図はよく分からなかった。彼は私の好きなものをそんなに確かめたいのだろうか。
「……俺の事は?」
「ん、うん……ん?」
 あれ、と思う。俺って誰だろう。俺、だから私の事じゃない。なら、そうだ。セイバーの事だ。
「……え?」
 理性が僅かに引き戻される。彼の質問を聞き間違えたのだろうかとも思う。
「俺の事は好きか、アヤカ」
「……嫌いじゃない」
 聞き間違えではなかった様だ。
 嫌いじゃない。まあ嘘は言っていない。勝手に世話を焼いてくる最高にお節介な人だとは思っているけど、別に嫌いな訳じゃない。
「"嫌いじゃない"……」
 ぼそりと呟くと彼は私の肩口に頭を乗せて、がっくりと頭を垂れた。まるで悲しみに暮れる大型犬の様にくすんくすん、と鼻を鳴らしている。
「少し期待した」
「ええー……」
 あまりに哀れみを誘う悲嘆に暮れた声だったので、つい背後から肩に乗せられた頭に右手を乗せてしまった。さらさらとした指通りの良い金髪に触れる。……何だか本当に、大型犬を撫でて慰めている気分だった。
 要するに彼は私に好きと言って欲しかったのだろうか。しかも、小学生みたいなやり方で。
「えっと……元気出してよ」
「君が一言好きと言ってくれたら元気になる」
 本当に小学生か!
 けれど同時に困惑する。どうして突然、こんな愛に飢えた哀れな大型犬みたいになっているんだろう。何か彼の精神が弱る様な出来事でもあったのだろうか。
 どうするべきか分からずに私は戸惑っていた。
「くっ……ふ、ふふ」
「えっ、ちょっと」
 そう、考えていたのに。くつくつと声を殺した笑い声が耳元で聞こえて、私の思考を打ち破った。おまけに彼が笑う度に一緒に揺さぶられてしまうのだから、色んな意味で堪らない。
「く、はは……っ、すまないアヤカ、少しからかっただけなんだ。君を困らせてしまったか」
「紛らわしいな!」
 私の首元で揺れる三つ編みを引っ張ると「いたたたた痛い痛い!」と声が上がった。……心配して損した。

          ◇◆◇

「アヤカ……はぁ、っ」
 平素と変わらぬ自信に満ちた、余裕げな言葉とは裏腹に、意外と崩れる表情を可愛らしいと思ってしまうのは、母性本能とか言うものなのだろうか。
「あっ、あん…ふぁ、っ……」
 私はもう情けなく溢れる声を抑える余裕もないけれど、きっと彼も似た様なものなのだ。
 ゆらゆらと揺れる、三つ編みを捕まえてくいと引く。何だか振り子や猫じゃらしみたいに揺れる髪が面白くて、どうしても毎回目で追ってしまうのだった。
「どうしたんだ?」
 キスの催促と思ったのだろうか。どうした、と訊く癖にセイバーは私の頬や唇の端にキスをして来る。
「ん……あのね」
「うん?」
 至近距離でセイバーが首を傾げる。落ちた金の髪が擦れて、くすぐったかった。
「……好きだよ」
 それは、ちょっとした悪戯。冗談で好きだと言って欲しい、と言う彼に、なら言ってやろうかと思っただけの話。いつも私を振り回す彼に対してのちょっとした意趣返しのつもりだった。
 ──嘘を吐いたつもりも、なかったし。
 少し髪を引いて、気を引いて。悪戯に言葉を告げただけなのに。それがもたらした変化は劇的だった。
「っ……くぅっ、あッ」
 低く掠れ、一際響く呻く様な声。仄かに赤く染まった目元に、荒い吐息。何より、私の中に溢れた温かな感触──。
「……ッ、待て、これは流石に」
「……ねえ」
「いや……そうだな、うん、俺が悪かった」
 訊いてもいないのに口早に返される言葉、そしてぎこちなく逸らされる視線。
 どうしたら良いのか分からなくなった。この人は、私を散々に快楽で責め立てたこの男は。
 私のたった一言で今、絶頂を堪える事が出来なくなったんだ。
「もしかしてあんたって、結構」
「……ああ」
「私の事、好き……なの……?」
 降りる沈黙。いや、分かっている。「私の事好き?」なんて一歩間違ったら勘違いも甚だしい自意識過剰な感じの可哀想な女だ。だけど訊かずには居られなかった。
「や、やっぱり何でもな、」
「好きだとも」
「えっ」
 思わず相手の顔をマジマジと見上げる。頬も目元も耳もほんのりと赤くして、じっと彼はこちらを見ていた。
「好きに決まっているさ。俺はアヤカが好きだ。本当だぞ。俺は君が大好きだぞ?」
「そ、そう」
 ちょっと気圧された。動揺もした。彼の後ろにぱたぱたと振り回される犬の尻尾を幻視したくらいには。
「アヤカ、もう一度君が欲しい。それに、どうにもあれが最後では格好もつかない」
「二回目!? いやそれは……!」
「……駄目か?」
 ぐっと言葉に詰まる。その表情も声色も、全て分かっていてやっているんじゃないだろうか。
「~~ッ、好きにしたら!」
 ヤケクソ気味に許可を下せば、金の毛並みの犬が尻尾を振って食いついて来た。

 シーツの波に、二人で溺れる。

あとがき
中身のない蜂蜜ネタ。