混線

「は……っ、はあ、……あぁ、はっ、」
 息が切れる。足の感覚がなくなるまで走って来た。それなのに、景色はろくに変わらない。私の周りを取り囲むのはお城の様に荘厳な廊下、不気味な絵画、それからキィキィと音を立てるコウモリの大群。ドアの前に並べ立てられたおどろおどろしい顔のカボチャたち。
「な、に……何なんだ、ここ! なんで私はこんなハロウィンパーティー真っ盛りな城にいるの──!」
 堪らず叫んでも、返って来るのは耳障りなコウモリの声だけだった。
 疲れ果てた私はとうとうドアの近くにしゃがみ込む。
「どうか夢でありますように……」
 不毛な願いをにっこり微笑むジャック・オ・ランタンにかけてみた。

            ◇◆◇

 諦観を胸に、長い廊下をてくてくと歩き続ける。歩けど歩けど見えるのは長く伸びる通路に高い天井やシャンデリアから下げられたオレンジ色のポップな飾り、鍵がかかった沢山のドアの前に律儀なまでに置かれた面白おかしい顔のジャック・オ・ランタンばかり。
 たまに本来の城の様相らしい大きな鎧や趣味の悪い武具が、飾り物としてなのだろう、いくつか配置されているのが見えた。
「わけが分からない……昨日はベッドで寝たはずなのに」
 私は此処に来るまでの記憶を辿る。昨晩は夜も更けた頃、セイバーを引っ張ってどうにかこうにかモーテルの空き部屋に滑り込み、そこで眠りに落ちたはずなのだ。
──セイバーも見当たらないし。本当にこの場所は何処なんだ。
 例えるなら、終わりのない夢の世界に迷い込んだかの様だ。この無限に続く廊下を見ているとそう思う。本当に夢であればそれで良い。だけれど、もしもそうでないのなら。魔術の存在を知ってしまった私の胸に満ちるのは、黒雲にも似た不安だ。
「いるよね、ちゃんと……無事、なんだよね」
 両手を拳の形に握り締める。手の甲に刻まれた偽物の令呪は何も伝えてはくれない。
「このまま進むしかないのか……」
 果てはまだ見えない。

         ◇◆◇

「あんなのがいるなんて聞いてない……!」
 疲れに疲れた足を叱咤して走る。今日だけでどれだけ走ったのか分からない。大理石の床に硬質な足音が響き渡る。その後から、重々しい耳障りな足音が続く。
 私を追う、鎧騎士の足音が。
「こ、うなったら、もう」
 走っていても埒があかない。私を追って来る鎧オバケが壁に並ぶ鎧と同じ物なのか、そうでないのかも分からない。けれどこのままでは追いつかれてしまう事は明白だ。多分きっと、きっとこの世界は夢の中なのだろうけれど、だからと得体の知れない鎧に殺されるのは勘弁して欲しい。
 覚悟を決める。逃げてダメなら、迎え撃つしかない。私は廊下の壁際、並ぶカボチャ頭の方へと視線を走らせた。
 これは夢だと信じたい。だが夢の中で死んでしまうにしても、あの悪趣味な飾りの武器で一発殴ってやらねば気が済まない。
「これで……ちょっとは、驚いたら、いい!」
 壁際に飾り立てられた武具を取る。掴んだ物は鎌だった。鈍く銀に光る大振りな刃。ツタにも似た意匠が柄の部分に施されている。それはまさしく死神の鎌のよう。私の背丈の倍以上はある鎌なのに、不思議と重くはなかった。それも夢の中だからなのだろう。そう思わないと納得する事なんて不可能だ。
 オバケの命を刈り取るなんて本職の死神にだって出来ないに違いない。それでも、ちょっとは驚けば良いんだ──全然ハッピーじゃないけど、ハロウィンらしく!
 振り返り、鎧騎士のオバケを見据える。長大な刃は多少の距離など物ともしない。私は鎌を振り上げた。そのまま殴ってやる勢いで!
「っ、あああああ!」
「──永久に遠き勝利の剣」
 重なる声。届いたのは、すっかりと耳に馴染んだ彼のもの。
「え……?」
 刹那、目の前の鎧が光の斬撃に消え去る。あの瞬間、私は呆然としていたに違いない。同時に振り上げた腕も行き場をなくしてしまった。
「此処にいたのか、アヤカ!」
 見間違えるはずもない。現れたのは、金と赤を基調とした装備に身を包む金髪の騎士。セイバーその人だった。
「あんた、なんでこんな所に……!?」
「君を探していた、それ以外に答えがあると思うか?」
 そうじゃなくて、と言いかけて堪える。訊きたい事が多過ぎて、何から質問すれば良いのか混乱してしまった。
「流石に今のは肝が冷えたぞ。ひとまず君が無事で良かった」
「……あんたも」
 無事で良かった。

         ◇◆◇

 こんな異常事態にも関わらず、セイバーは鎌を手に取ると瞳を輝かせた。
「これは立派な鎌だな。どうやら魔術的な処理が施されているらしいぞ。それも保って数十分、との事だが……それにしても気になる意匠だ」
「処理? つまりどういう事?」
 私の夢の中のセイバーはしっかり仲間たちを引き連れていたらしい。最近ではもう耳慣れて来た、伝聞系の答えが返る。
「要は時間限定の宝具の様なものだ。君の魔力、それともタトゥーがトリガーになったのか……それは分からないが、今から短時間の間ならその鎌は君にとっての武器になるそうだ」
「それってあんたの剣みたいに光? ビーム? が出せるって事?」
「そこまでは俺も分からん。サーヴァントの宝具は武器一つとっても様々だからな」
 何だか分かった様な分からない様な心地だ。とりあえず、これさえあれば例えカボチャのオバケと出会ったとしてもどうにかなりそうなのは理解出来た。
 セイバーから鎌を受け取る。何とも重々しい見た目のそれは結局のところ、どう使うべきなのかは具体的にはさっぱり見当がつかないままだった。
「ならこの鎌は持って……わっ」
 手の中の武器から彼の顔へと視線をずらした瞬間、真っ黒な布を頭から被せられた。
「何これ? 布……ローブ?」
「そこの壁に掛けられていた。君は俺と違って鎧は着けていないからな。身を守るには心許ないが、肌を傷つけないくらいの助けにはなるだろう」
「……ありがとう。それにしても真っ黒な布に鎌って本格的に死神だよ」
 ローブを羽織り、ご丁寧に付けられたフードまでしっかりとかぶる。今の私は絵本に出て来る死神そのものの格好をしているに違いない。
「さて、ならば行こう。魔城を冒険と洒落込むぞ、アヤカ!」
「あんたはなんでそんなに楽しそうなの」
 呆れて吐いた溜息に安堵が混じっていたのは、気のせいだ。

          ◇◆◇

「だから、こんなのが出るなんて私は聞いてない……」
 呟いたってどうにもならないのは百も承知だ。それを分かっていて口にしたのはひとえに冷静さを取り戻すためだけに他ならない。私の見る夢の中だからって私にどうにかする事は出来ないのだ。
 縋る様に鎌を握り締めて、廊下に立ち塞がる第二のオバケを視界に捉えた。正直一分一秒だって見ていたくない化け物だ。だってそれは、B級ホラー映画に出て来るハリボテの様なモノだったのだ。ぬめぬめとした両生類の様な質感。真ん中には大き過ぎる目玉が嵌め込まれている。
 セイバーの剣が煌めき、目玉を切りつける。鮮血が空に舞った。
「は……は、っ」
 さっきの鎧よりも重く伸しかかる、圧倒的な存在感。私は鎌を支えに辛うじて立つ事しか出来ない。身体は細かく震え、膝は無様に笑っていた。
「がっ……アァ、あ!」
 ガラスが砕け落ちる様な音が響いた。
 豪奢な絵画にセイバーの身体が叩きつけられたのだ。単に目玉のオバケが強いのか、はたまた相性が悪いのか。不意打ちを受けたのか。
「……! セイ、」
 駆け寄る事は許されない。
 息が詰まった。目の前に迫るのは、ギョロギョロとした目玉。眼鏡越しに、視線が合った。
「あ……」
「アヤカ!」
「ッ!」
 びくん、と身体が大きく震えた。セイバーの声によって意識が目前の化け物へと戻される。
 直感した。何もしなければ私は此処で死ぬ。
 逃げれば良い? だけど今の私には武器がある。どんなに無謀であっても、何も出来ないわけじゃない。こんな夢の中でくらい、彼の助けになれたなら。
「くっ、う……あああぁ!」
 腕を振りかぶる。それは原初の衝動だった。生きたいと言う、死にたくないと言う、ただそれだけの物だった。
 銀と鉄を混ぜ込んだ色をした鎌は、いとも簡単に、目玉の怪物を真っ二つに切り裂いた。老人のしゃがれ声にも似た断末魔が響き渡る。時間限定の宝具とはこの事なのか──切断面から真っ白な光が溢れる。あまりにも明るい光が化け物を、そして私の肌をも焼いた。
 ローブがはためき、私の頭を覆っていたフードは光と風に外される。懸命に目をこらした。どんなに見たくない光景でも、もう視線をそらしたくはなかった。
 握り締めた鎌の柄は熱かった。必死に化け物を睨みつける、その先に。
(──え? 鎌……じゃなくて、あれは)
 光の柱──?
 目に焼きついた一瞬。その時私が振るった武器は、鎌ではない何かに見えた。
 まるで、そう。輝きに満ちた、槍にも似た何か。
 確かめるために鎌を引き寄せようとした腕は、誰かに掴まれる。
「アヤカ、君こそ無茶をし過ぎだ。俺の事は言えないぞ」
「今は……夢だから。夢じゃないなら、こんな事、しないよ……」
 耳につく厭な叫び声。そうして化け物は灰に還る。焼かれた身体は復活しない。それはきっと、昔からのお約束だ。
「でもちょっと……疲れた」
「疲れもするさ。今のやり方には俺も驚いたぞ? 君に窮地を救われた。だが君を危険に晒してしまった事は俺の落ち度だ」
「落ち度って……そん、な事……ない、から」
 ぐらりと世界が揺れた気がした。途端、急激な眠気が私を襲う。意識する暇もなく全身から力が抜けた。手にしていたはずの鎌はもう既にない。オバケと一緒に崩れて灰になってしまったのだろうか。
「ごめ、立って……られな、い」
「ああ。おやすみアヤカ。君はもう少し休むと良いさ」
「うん……」

          ◇◆◇

「おはよう、アヤカ。目が覚めたか?」
「……あれ」
 朝だ。誰が何と言おうと紛う事なき朝が此処にある。カーテンの隙間から差し込む眩しいくらいの日差しと可愛らしい小鳥のさえずりが聞こえた。
「ここ、どこ……? また変なお城……? 目玉のオバケ……?」
「城? 目玉? ……ははあ、君。さては寝惚けているな? 此処は宿だ。モーテルと言うのだと君自身が昨日教えてくれた」
「モーテル……モーテル!?」
 がばりとバネの様に勢いよく起き上がる。勢いがあり過ぎて、はね飛ばされた掛け布団がセイバーの顔に直撃した。
「ぶわっ、とと」
「あ……ごめん。おはよう……」
「はは、構わないさ。朝から元気で何よりだ」
「そんな大袈裟な」
 目元を擦って、ベッドサイドに置いていた眼鏡をかける。眠ったはずなのに、微妙な疲労感が私の身体に満ちていた。或いはそれは精神的な物なのか。一夜の夢で、私はあれだけの無茶苦茶な出来事を繰り広げたのだから。
「起きたところで朝食にしよう。ああ、いや。その前に飲み物か?」
 君はどっちが先だと思う、なんて首を傾げて訊きながら、セイバーはベッドから離れようとする。
「別にどっちでも……あ。ちょっと待って」
 離れる前に彼の上着の裾を引く。とんでもなくおかしな夢だったけど、便乗してみるのも悪くない。
「今日はパンプキンパイ、食べよう」
 あの冒険は夢でも、手を引いてくれた彼は本物だったのかもしれないから。

あとがき
まさに好き放題ダイジェスト!
 鎌のモデルはグレイちゃんのアレ。
 世界線が混線したようないい加減な夢っぽい世界なのでそれらしい見た目なだけ。多分。
 元のエイプリルフール企画のFakeでの「30分だけ英霊の力を借りて戦う」アヤカが見てみたかった。