第二幕

オルタ化捏造ネタ注意


「いやだ……」
 小刻みに震える肩。力ない声。アヤカの脳裏にフラッシュバックする光景。
『走れ! 振り返らずに!』
 血を吐く様に叫ばれた言葉は今もアヤカの耳許で反響する。鮮血に濡れた一人の男は、彼女の盾となってその身を消してしまった。
『すまない、アヤカ──』
 金色の光の粒子が彼を包む瞬間をアヤカは目にした。震える足を叱咤して、走った。振り返らずに。彼を置き去りにして。
 ──それなのに。
 駄目なのか? 私は此処で終わるのか?
 アヤカは自問する。真っ暗な部屋に反響する魔術師の足音は死の足音に等しい。以前の様に、彼女の命を救ってくれた騎士が現れる事は二度とないのだ。
 アヤカの首筋に、男の手が伸びる。死の予感を纏わせて──。
「もう……もう、やめてくれ! 私に触らないで──!」
 それは、慟哭だった。
 世界をも呪って見せる、嘆きの叫び。

          ◇◆◇

「なんだ……此処は?」
 セイバーのサーヴァントとして現界した自らは、既に聖杯戦争からは敗退したはずだ。意識は奪われ、仮初めの肉も失い、英霊の魂の欠片は一時の眠りにつく。そのはずだったのに、何故か俺には意識があった。
 以前に意識があった瞬間までに存在した場所、苛烈なる戦場とは天地ほどにも違う場所に俺はいた。此処はモーテルだ。部屋の内装には見覚えがある。以前、アヤカと共に拠点にした事のある場所だった。
「アヤカ……?」
 シンプルな作りのベッドには、人影がある。囁く様な呼びかけに振り向いた金髪の女の容姿は間違いなくアヤカ・サジョウその人だ。
「あんたが来てくれるのを待ってたんだ。待ちくたびれるところだった」
「待ってくれ、アヤカ。君が俺を待っていた? 一体何の話だ」
「こっちに来て……来たら分かる」
 ──どういう事だ。
 簡素なテーブルを挟み、見つめ合う。二つ並べられたベッドの上、シミひとつないシーツの上に座っている彼女はアヤカに他ならない。なのに、俺は酷く嫌な予感を覚えた。直感と言っても良い。
 しどけなく微笑むアヤカの姿は、彼女の表情とは思いがたかった。確かに彼女の姿なのに、到底アヤカ本人だとは思えない。まるでよく出来た人形を眺めているかの様に思えたのだ。
「こっち。座って」
「ああ……」
 招きのままにゆっくりと歩を進め、彼女の隣へと腰を下ろす。胸騒ぎがした。
「あんたにあげたい物があるから、待ってたんだ」
「君から俺に? それは嬉しいが、何をくれるつもりだ? 見たところ君は何も持っていない」
「何だと思う?」
 くすくすと声を立てて笑う女は問いを返す。アヤカが俺に顔を近づけた。それは秘密を囁く子供の様に。
「わたしに愛を囁いて、囁かれて。名前を呼んで、呼ばれて。ねえ、一緒にいたかったのでしょう? そうして指を絡めて、キスをして──ただ、それだけ。でも素敵な贈り物でしょう。だから、沢山してあげるよ」
 アヤカのほっそりとした指先が頬に触れる。あまりにも冷たい指が。
「その前に聞かせてくれ、君は一体」
──誰なんだ。
 問いかけは彼女の唇によって封じられた。
 臓腑を焼き尽くす贈り物と共に。
「がっ……は、ああぁッ……!? 」
「辛い? 苦しい? 安心してよ。あんたの中にも同調する物がきっとある」
 脳をかき混ぜられたかの様に頭が揺れる。怨嗟の呻きが聞こえる。それは歌の様に俺の身体を貫き、斬り刻む。
「ぐっ、う……あぁ、は、痛ッ、あ、ああぁ!!」
「痛いんだ……可哀想に。すぐによくなるよ」
 柔らかな囁きは耳を通らない。
 咆哮する。傾いだ身体はベッドから落ち、床に叩きつけられた。その衝撃すら身体を焼く痛みには程遠い。
 胸の奥に泥が滑り落ちる。腹の底にどろどろとした獣のカタチが出来上がる。血が逆流する? 傷を抉られる? 分からない。
 全てはこの世の悪の根源へ──。

         ◇◆◇

 私は一体何をしたのだろう。ぼんやりと座り込んだままに思考を走らせる。どうしたって理解が追いつかなかった。
 暗い部屋だったはずの場所は、何もないクレーターと化していた。名も知らぬ魔術師も、部屋に所狭しと置かれた魔術儀式の用具らしい物も、床に敷かれていた魔法陣の様な物もない。正真正銘、何もなかった。
 ただ、月の光だけが私を照らしていた。
「なに、これ……何なんだ、これ……」
 声の震えを抑える事は出来なかった。どうして私だけが無事なんだ。こんな隕石が落ちたみたいなクレーターの真ん中で。儀式が失敗した? それとも逆に成功した? あの魔術師は?
 疑問が浮かんでは消える。それ以上考えたくはなかった。
(もう何も考えたくない……全部なくなって、もうそれで良い)
 クレーターの中心でうずくまる。目も耳も塞いで、怯えた獣の様に縮こまった。此処で石の様になって朽ち果ててしまいたいくらいだった。
「浮かない様子だな、アヤカ?」
「え……?」
 顔を上げる。いつからそこに居たのだろう。月の光を背にして立つ人影があった。
 三つ編みにした金の髪。豪奢な甲冑は漆黒で、瞳も月光の様な淡い金色だった。頬は青白く血の気がない。まるで死人の様に。
 それでも分かった。分からないはずはない。
「セイバー……?」
「他の誰かに見えるか? まあ俺も随分と見た目が変わってしまったが……それは君も同じか」
 セイバーが私の手を引いて、立ち上がらせた。立ち上がった事で初めて私は素足でいる事に気づく。
「うそ。本当に……あんたなの? あの時、居なくなっ……て、それで」
「それも事実だ。だが君に吐く嘘もないさ」
 悪戯っぽく笑うセイバーは、確かにあの時の彼と同じだった。掴んだ手が冷たくとも、瞳の奥が冷え切っていたとしても。
「君を守れなかった俺にもう一度だけ機会をくれないか。君を傷つける者は全て斬り捨ててしまおう。この黒き剣に俺は誓う」
 セイバーは私を軽々と抱き上げて、楽しげに言う。まるで歌を口ずさむかの様に。
「第二幕も悪くはない」

 それは、自覚なき人類悪。

あとがき
軽率に泥を呑ませるな。(自戒)